2024年パリオリンピックでメダル獲得が期待される男子バレーボール。
歴代最高とも評されるチームの司令塔を務めているのが関田誠大選手です。
今回はそんな関田選手の転機となった出来事について調査しました。
関田誠大選手とは
- 1993年11月20日 生まれ
- 東京都 出身
- 身長 175cm
- 中央大学法学部 卒業
- ジェイテクトSTINGS 所属
- セッター
パリオリンピック開催時は30歳の関田選手。
そのプレースタイルはラリー中もミドルやパイプを積極的に使った大胆なトスワークが特徴です。
今までの日本の攻撃といえば、ラリー中はアウトサイドに頼った単調な攻撃になってしまう傾向がありました。昨今のバレーは”データバレー”とも言われており、相手選手のことを徹底的に調べあげます。なので単調な攻撃になってしまうほどブロックに阻まれてしまう可能性が高まります。
この点、関田選手のトスワークは誰が打つの打つ寸前まで分からず、また予想もしなかった選手へとあげられます。
そうなると、なかなかブロッカーも追いつけずブロックポイントを稼ぐことができません。
中央大学時代の転機
関田選手は松永理生監督率いる中央大学に進学しています。
そこで松永監督より“バックアタック”を積極的に使うことを指導されたそうです。当初の関田選手は前衛がいるのになぜバックなのかと疑問を持たれていたようで、松永監督に「面白くない」と伝えたこともあったそう。
今でこそパイプ攻撃などが一般的になり様々なポジションから攻撃をするようになりましたが、当時はあまりなかった発想のようでした。
しかし、続けた結果、大学3年生の頃には松永監督も文句のつけようがないぐらい効果的にバックアタックを活用し前衛プレーヤーへのブロックマークを外させ楽に打たせることができていたとのことです。上手い選手は監督の指示をすぐに体現できるとよく聞きますが、関田選手も例にそぐわずですね。
さらに同じく関田選手が大学3年生の頃に石川祐希選手が1年生として入学されています。
こちらも大きな転機となったようで、通常でもアタック決定率の高い石川選手をさらに活かそうと積極的にミドルにあげるようになったとのことです。この発想の転換がすごいですよね!凡人の私であれば決定率の高い石川選手に頼りっきりになってしまいそうです・・・
五輪の重圧
ラリー中でもミドルを多用するといった大胆さと
ラリー中にアタッカーがサインを送らず速い攻撃に入ったとしても打ちやすいトスをピタリとあげる繊細さが
関田選手の大きな持ち味ですが、まじめな性格故思い悩み持ち味を出せないこともありました。
それが2023年に行われたパリ五輪予選第2戦のエジプト戦です。
日本は格下のエジプトにセットカウント2-3で負けてしまいます。
関田選手は敗戦の責任は自分にあると感じたようで後にこう語っています。
弱気になっていた部分もあると思う。僕自身、結果にこだわりすぎると自分のよさがなくなって単調になることがある。積極性がなかなか出せなかった。(中略)あの時は、本当に申し訳ない気持ちでした。
日本を背負って戦うということで負けは許されないという思いから、固くなってしまい本来の関田選手の持ち味を出せず単調なトスワークになってしまったということでした。
しかし、ミドルブロッカーである高橋健太郎選手や山内晶大選手をはじめとした周りのサポートにより
次の試合から本来の関田選手らしいプレーが戻り、日本代表としてもパリオリンピックの切符を手にしています。
まとめ
最後にまとめます。
関田選手の転機としては、中央大学時代にバックアタックやミドルを積極的に使用するという指導にあったと考察されます。
また、同じチームメイトとなった石川祐希選手をどうしたら活かせるのかと考えた結果、積極的にミドルを使うという考えに至ったということもあり、石川祐希選手との出会いも転機のひとつとして挙げられます。
パリオリンピックでも関田選手らしいプレーに期待ですね!
コメント